絶望の序曲

 朝になると、ぼくの身体のなかに絶望の序曲が流れ出す。すべてが嫌になりかつおっくうになるのである。正午を過ぎたあたりからようやく頭脳がゆっくりと転回し思考が始まるそれまでは、自然の慣性の法則に則って身体を操っているのである。自然の法則にどうやっても人間は打ち勝つことができないと同様に人間が決定権をもった法則もまた人間をこえることは難しい。しかし、論理の力、言い換えるならば感情をロゴスに変えたsoundな論理であるならば、人間が決定権を持った法則に新たな法則を書き加えることが可能である。しかし、そのことはかなり難しいことである。先行研究の全てに眼を通し、剽窃の地雷を踏まないように注意しなければならないのである。
 だか、無意識のうちに書いている本人が剽窃をおこなっている、あるいは剽窃とみなされる文章を書くことも否定することはできない。なぜならば、人間は他者と関わりながら生きているためである。他者の影響を受けながらいきているためである。そのことは生き生きとした現実である。この文章を書いているぼく自身でさえ、他者の影響を受けてこの文章をかいているのだから。