2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

絶望の序曲

朝になると、ぼくの身体のなかに絶望の序曲が流れ出す。すべてが嫌になりかつおっくうになるのである。正午を過ぎたあたりからようやく頭脳がゆっくりと転回し思考が始まるそれまでは、自然の慣性の法則に則って身体を操っているのである。自然の法則にどう…

ブログ

このブログは大学がお休み期間限定のブログらしい。大学のパソコンで書こうとしても何故か書くことが出来ない。それは、ネットワークの問題である。その理由がわかっていれば問題はないであろう。しかし、いつ、どこで、だれが観ているかわからないネット媒…

ブランド

ぼくはブランドものに対する感覚がずれているらしい。来ている物はすべて安い物か丈夫なものを選ぶことにしている。しかし、丈夫なものほど値段は上がる。それをどこまで追求するかはひとそれぞれの好みの問題である。極寒のヒマラヤ山脈を登攀するならば一…

沈黙の言葉

言葉を発するとき潜るときがある。それは、自己の経験を過去の出来事のなかに照らし合わせて発しようとしているのであろう。それはまるで、フリーダイバーが潜る行為にとてもよく似ている。自己から他者に某かの思いを伝えようとするとき「沈黙の時間」がな…

ドラマコラム 『結婚できない男』

このドラマの主人公はぼくの写し鏡である。毎日、TSUTAYAへ行きDVDを借りて観る。そしてクラシックを他者の迷惑を顧みずがんがんと鳴らす。しかし、ちがうのはドラマの主人公が一流の建築家であり、ぼくは只の阿呆学生であるという点である。しかも、主人公…

ギリシアの種

古代ギリシアの種は日本古来の伝統と通じるものがあるのはあるまいか。田中美知太郎先生の文体から<醸し出される>「雰囲気」は最も古代ギリシアの種と日本古来の伝統と通じるものがあるであろう。 漢文の世界で思索した夏目漱石先生に似ているようである。…

責任

ぼくは或る先生の友人の存在をわすれることができない。そして、恩師のW先生の存在も忘れることが出来ないのである。なぜならば、或る先生の友人は美学を学んでいた。その美学のことは、ぼくは知らない。しかし、その美学をぼくなりに具現化することは不可能…

能楽

能楽堂は京都にいくつかあることをぼくは知っている。能楽はとてもおもしろい。まるで、オペラのようである。ワキ、ツレ、シテで構成された役者が舞う、謡うのである。しかし、能楽に意味を見出してはならない。能楽は好きあるいは嫌いかの問題なのである。 …

倒立の効能

倒立を日常生活にくわえると人生が豊かになる。なぜならば人間は通常天に頭をむけて生きているが倒立という非日常の行為を日常にくわえることによって物の見方が変わるのである。その代表例が我が叔父であろう。叔父はきわめて論理的な思考の持ち主であり、…

倒立

倒立は体操競技においてみどころのひとつである。体操競技は全て倒立にはじまって倒立でおわると言っても言い過ぎではない。床・鞍馬・鉄棒・平行棒・吊り輪・跳馬のすべての空中局面という身体が空中に放たれた状態にあるときに真っ直ぐな倒立ができていな…

ブログ復活。

5月のゴールデン・ウィーク期間において、ブログを復活することができた。なぜならば、大学のパソコンを使うことが出来なかったためである。それは、アカウントを正式に習得しなかった阿呆なぼくの責任である。そして、今回からは論理展開に細心の注意をはら…